まいにちたのしいぶろぐ

手抜きバンザイ最短ゴハンとブルベのまいにちコスメを記録〜〜!!

赤ちゃんを授かるということ。〜妊娠発覚から稽留流産まで〜

前回、重たーいタイトル(笑)でブログ書きましたが
今日はまた別の自分の話をしようかなーと思います。












実は2019年に入ってから、

未婚のまま妊娠・流産・お相手の方とお別れ

という、だいぶ激動というか大変な丸3ヶ月を過ごしました(笑)




上記の話をするので、過去流産等の経験があり、私の文章で思い出してしまい辛い気持ちが蘇ってしまう可能性がある方は
そのままそっと閉じて頂けたらと思います。
辛い気持ちを思い出させてしまい申し訳ありません








正直お相手とお別れした事に関しては、
未練もないしお互いにこれで良かったんだろうなと腑に落ちているので、
相手に対して特に言及することはありません。
この記事の中でも特に触れないでおこうと思います。


でも、現在20代前半で妊娠が発覚し、
結婚は考えていたけど予想外すぎて不安100%、
段々受け止められてきて楽しみが増してきたところで初期流産。
流産して気持ちが落ち込みまくっていたところで
相手の方とお別れ。


相手とお別れしたことで
先月まで自分のお腹の中にいた赤ちゃんの存在が
この世からもっと忘れられてしまう気がして、
それが一番辛かったです。











今どき授かり婚もでき婚も全然珍しくないし、
私と似たような経験をした方・している方も沢山おられると思います。

そんな方達に、私のブログを読んで同じような人いるんだなと思ってもらいたいということと、


自分の中に確かに存在していた赤ちゃんのことを、
ブログという形でこの世に残しておきたいという供養の気持ちも込めて、書こうと思います。














まず妊娠発覚したのは、2019年2月2日に生理不順で婦人科を受診したときでした。

なんの疑いもなく、もともと痩せ体質で体調も崩していたのでそのせいで生理不順なんだ〜と思って、
まあ一応婦人科行っとくか〜くらいの感覚で行きました(笑)


そしたら先生に「もしかしたら…」と言われて尿検査を受け、妊娠発覚。
その時点で4wくらいでした。



早く発覚して心拍も確認できなかったので、
そのあと2週間ごとに受診していました。



2週間後の16日では、週数にしては大きさが小さいかも〜くらいで特に異常はなかったのですが、

次の3月2日の検診で、心拍も確認できず、2週間前から1ミリも大きくなっていなかったので、
初期流産になる可能性がほぼ確定と言われました。


その次の週の土日くらいに、少しだけ生理痛みたいなのがきて、自宅で早朝に自然排出になりました。













まず妊娠がわかって思ったことは、

「どうしよう」

でした…(笑)



避妊はきちんとしていたつもりだったので本当に予想外でした。


自分がまだ20代前半で今の一般的なママから比べれば比較的若く、結婚の話は出ていたけど未婚、
計画外で貯金も全然ないという、現実的な不安と

漠然と自分がママになることが理解できなくて
その日は病院から泣きながら30分歩いて帰って彼が帰宅するまでずっと1人で泣いていました(笑)



発覚当日に散々泣いたので、そのおかげか次の日から気持ちは前向きになりました。

その時から日々感じたことは、
「命の重み」でした。




自分の行動も食事も全部、もうひとつの自分が抱えてるこの大事な命にダイレクトに影響するんだ…と思ったら

一歩一歩、本当に噛みしめながら歩いていたというか、

例えは悪いですが、毎日命の爆弾を抱えてるような思いでした(笑)本当に(笑)











そして、「母への感謝」です。


そうやって命の重みを噛み締めながら1歩ずつ歩いていると、
自分の母親もこんな気持ちで自分をお腹の中から育て、産み、育児をしてきてくれたんだなと思うようになりました。












そして、流産するかもと言われてからは
その日もまた一日中家で泣いていた気がします(笑)



私は両親も親戚も離婚しているところばかりなので、
現在も関わっている親戚や、ひいおばあちゃんとかひいおじいちゃんが少なく、自分の身内が死ぬという経験があまりありませんでした。


今まで「死」を身近に感じたことがなかったのに、
一番の家族になるはずだった自分の赤ちゃんが死んでしまうという事が受け入れられなくて

あの時は何を考えていたのか、今もあまり覚えてないです。


仕事が医療関係で、子供も赤ちゃんもたくさん来ていたので、子供を見る度になんとなく心を痛めたりもしていました。













もしかしたら流産の処置をしないといけないかもと言われていました。
処置や手術となると、どう頑張っても自分の子宮が傷つくことになるので、今後の妊娠への影響も無きにしも非ず…なのでそれをなるべく避けるために自然排出してくれるのを待つ形になります。


なのでそこからは、
赤ちゃんがまだお腹の中に居てくれているのに、その赤ちゃんが息絶えて、出てくるのを望んで待つという葛藤の中での複雑な気持ちとの戦いでした。



でも最後は本当にお利口さんで、100%自然排出で思ったよりすぐ、しかも仕事が休みの日に出てきてくれたので結果的に処置は免れました。














そしてそのあと相手とのお別れがあり、
自分も自分のこれからの事を前向きに考えようと思って、ふと思ったのが「また妊娠した時」のことでした。












まず、また結婚しようとなった相手に、
以前結婚しようと思っていた方との間に子供ができ、でも流産してしまった
という話をできるかどうかということ。


もし私が逆の立場で、相手のことを本当に愛していても、相手にそんな事を大告白されたら
私はなんて思うんだろう

想像もつかないので、きっと想像もつかない気持ちになるんだろうと思います。







そして、いい人に恵まれ、結婚できて妊娠した時
絶対に流産してしまった赤ちゃんの事をまた鮮明に思い出し、苦しい気持ちになってしまうだろうということ。













流産したことを忘れたいわけではなく、
でもあの妊娠したときの不思議な「重み」は、
やっぱり赤ちゃんがお腹の中にいる時しか感じられないことなので…


また流産したときの、あの時の気持ちに引き戻されるんじゃないかという恐怖が、まだあります。














先程も書きましたが、妊娠したときに感じた重みは、
まず自分のつま先からでした。


もともと私かかとが浮いて歩くのが癖というか、割とあまり地に足がついてない感じがあるんですが(笑)

あの時は、足のつま先先端まで、重かったです。

歩くのってこんなに体力使うのか?!と思ったし、
私のつま先が向く方向ひとつで、事故にあったりトラブルに巻き込まれる可能性があるとおもってしまって

歩きスマホなんて絶対できなかったし
横断歩道も青になっても左右を二重確認して渡ってましたね。


あれは赤ちゃんがお腹にいないと感じられない感覚だなと思いました。























短期間での妊娠→流産を経験して、

まず受精卵が着床・きちんと生命体になれることが尊いんだと

それがちゃんと人の形になり、五体満足で
無事に出産できることが本当に尊いことなんだと

文字で読んだり人から聞くだけでは感じられないほど、身を持って感じることが出来ました。


















正直、友人や職場の産まれたての赤ちゃんとか、街で見かける妊婦さんとか

見る度に辛い気持ちにまだなります。




ですが、妊娠した時婦人科の先生に
安定期っていつからのことを言うんですか?と聞いた時


「安定期なんて、流産の確率が下がる時期のことを分かりやすく指すだけで、医学的には存在しないんだよ。だから、もし例えば知り合いが妊娠したときがあったら、無事に産まれるその瞬間まで祈ってあげて」


と言われたことをよく思い出します。

















友人へも、みんなに簡単に出来るような話でもないな〜とも思うので
出産予定日だった10月7日には必ず毎年、勝手に1人で心の中で赤ちゃんにお祈りするつもりです。













また今度妊娠した時は、
ちゃんと産まれてこれますように。

幸せな形で赤ちゃんを向かい入れられますように。